1958
|
- 初の中等教育が55カ所、880人の生徒で開始。始めてマレー語が教育に使われた。
- 国立美術館が開設
- 連邦銀行法成立
|
1959
|
- バンクネガラ(マレーシア中央銀行)開業
- 初のアジアユースフットボール大会をKLで開催
- マラヤとシンガポールで初サミット開催
- 離婚法の改正。マレー人の外国人との結婚禁止
- 独立後初の連邦下院議員選挙が行われ、マラヤ連合党が74議席を獲得して勝利
|
1960
|
- 国内治安法成立。非常事態宣言が解除
- ハイビスカスが国花となる
- 初の国連平和維持軍613人をコンゴに送る。
|
1961
|
|
1962
|
- 室内競技場・スタジアム・ネガラが開設
- タン・イスマル・アリがバンク・ネガラ初のマレーシア人総裁となる
|
1963
|
- アジア初の自転車競技大会を開催
- マレーシア連邦(マラヤ・シンガポール・サバ・サラワク)成立
- インドネシア・フィリピンと国交断絶
- ラジオ放送がマレーシア全土に普及
- 連邦庁を開設。国会議事堂開設。
- テレビ・マレーシアを開設。のちのRTM
|
1964
|
- 初の中東・アジア・ムスリム大会開催。25カ国参加
- 労働保障保険制度を導入
|
1965
|
- シンガポールがマレーシアから分離
- ラーマン首相5カ年構想を発表
|
1966
|
|
1967
|
- マレー語が国語になる国語法成立
- 日本との「血債問題」解決
- インドネシアと国交回復。ASEAN結成
|
1968
|
|
1969
|
|
1970
|
- 非常事態宣言解除。ラーマン首相退陣。ラザク第2代首相に就任。新経済政策(ブミプトラ政策)打ち出す。
|
1971
|
- 大洪水で53人、1億リンギットの被害
- 国立図書開館
- 第二次マレーシア計画発表
|
1972
|
|
1974
|
|
1975
|
- 日本の「昭和丸」がマレー半島付近で、30万トンのオイル流出事故
- 日本赤軍が人質53人と80時間たてこもる。
|
1976
|
- ラザク第二代首相死去。フセイン第三代首相就任。
- 第三次マレーシア計画発表
|
1977
|
- KLで第二回ASEAN首脳会議開催
- マニラで「福田ドクトリン」発表
- マレーシア航空・墜落、99人死亡
|
1978
|
|
1980
|
- アロースター、ケダで1万5千人の農民暴動
- アフガニスタンと国交断絶、モスクワ五輪辞退
|
1981
|
- マハティール第4代首相に就任。ルック・イースト政策、第4次マレーシア計画発表。
|
1982
|
|
1983
|
- 最高裁判所開設
- マハティール首相、日本公式訪問。プロトン・サガの合弁
- 香港のブミプトラ・マレーシア・ファイナンスのスキャンダル発覚
|
1984
|
|
1986
|
|
1987
|
|
1988
|
|
1989
|
- マラヤ共産党の武力闘争終結
- 国連安全保障理事会のメンバーとなる
- APEC発足
|
1990
|
|
1991
|
- 「WAWASAN2020」、第6次マレーシア計画発表
- 日本の天皇・皇后がマレーシア公式訪問
|
1992
|
|
1993
|
- KLで高級コンドミニアム「ハイランド・タワー」崩壊
|
1994
|
|
1996
|
- マレーシア中央銀行から2リンギット札が発行される
- 第7次マレーシア計画発表
- マルチメディア・スーパー・コリドールプロジェクト(MSC)発表
- LRT”Star”営業開始
|